映画評論家 と自分の評価がまったく違う事について

公開日:  最終更新日:2019/03/23

映画評論家、評論家気取りになってる人、に対しての自分の気持ちの持ちよう(と愚痴)を書いてみます。

普段はあまり映画評論家の意見なんかまったく聞かないし、目にしたとしても「ふーん…」くらいにしか思ってないのですが、映画評論家絶賛!とか日本中が熱狂!とか宣伝文句にしてある映画を見ると「えー?ほんとぉ?」って言いたくなります。

見終わってがっかりした…ってなると、どこの誰が絶賛してるんだよ!という気持ちにもなります。

そんなこと、ないですか?

 

最近ブログに映画とかドラマアニメの評価を書くようになったので、リサーチする際におのずと他の方の意見を見る事も増えてきたのですが大手映画サイト(口コミサイト)とか見てると誰かのコメントパクッただろ、みたいな表現している人を良く見かけます。

絶対そんなの自分じゃ思いつかないような言い回ししている人、何がどうとか具体的に書かないくせに「素晴らしい作品だった」って言っちゃう人。考えるな感じろ的な作品であれば何がどう素晴らしかったのか書く必要もないでしょうけど、考えさせられる系の作品で具体的にどこが良かったのか書かずにただ素晴らしかった、感動した、最高だった。って書いちゃう人はなんなんでしょうか。

ネタバレになるからあえて書かないのか?それとも自分では自分がどう思ったかうまく纏められないから、誰かが言ってた感動した!なんて言葉を安易に受け止めてそのまま書いちゃったのか?

謎です。

○○賞とったから、誰々がすごい作品って褒めてたから、って理由で自分も褒めなくてはという頭になっているのだとしたら、それは可哀相としか言えませんね。

 

映画評論家の人たちに対しては批判という感情はありませんが、一言。

「映画評論家絶賛!」とかいう文句は信用していません。

なぜなら評論家の方々は「コメントを適格に分かりやすく伝えなくてはいけない」という仕事をしているから。そのコメントを書くにあたって何度も見返しているだろうし、監督や原作についてももちろん、時代背景や宗教の問題、人種問題まで勉強した上で見ている作品だから、です。

一般の映画見ている人ってそこまでしませんよね。

よっぽど思い入れのある作品なら事前勉強や再鑑賞、監督、役者にいたるまで隅から隅まで見ているかもしれませんが、普通は1回見て終わり。面白かった、つまらなかった。という感じになります。

バックグラウンドが違う評論家の人たちの意見が理解出来なかった…というのは当然の事だと思っています。

 

最後に。映画って娯楽ですよね。

人によって好みも様々だし、娯楽である映画は人の意見に左右されないで自分の好きな物を見て、面白かった、もう見たくない、とか感想を自由に言えるのがあるべき姿だと思います。




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