聲の形 アニメ映画ネタバレ感想 青春を経験したくなる。

公開日:  最終更新日:2019/03/27

こんにちはシロクマです。

映画「聲の形」を見て思い出したことがあります。

この記事を読まれている方で聴覚障害のある方と接したことある方はいるでしょうか。私は前職で軽度聴覚障害をもつ方と仕事する機会がありましたが、障害者と健常者、TVで見るような清潔で明るい付き合いなんて出来ないのかも…と思ってしまいました。

双方に歩み寄る努力、理解する努力、伝える努力をしないと良い付き合い方なんて出来ないのですね。

聲の形

画像出典元:映画.com

あらすじ

小学校に耳の聞こえない硝子が転校してきた。

将也は典型的なガキ大将タイプで、暇な事が苦手。度胸試しや過激な発言もしょっちゅうだ。硝子への好奇心からちょっかいを出し始めた将也は自分の行為がエスカレートしている事に気づかない。将也と仲がいい女子の植野は初めは硝子を助けるそぶりをしていたが、馴染もうとしない硝子に苛立ち無視するようになっていった。

ある日のクラス会で硝子の補聴器が何個も紛失している事が挙げられた。高価なもので硝子の親が困っているという。今まで黙って将也の行動を見ていただけだった担任の竹内は急に将也だけを犯人扱いする。

その後硝子は転校していったが、将也はクラス中からイジメを受けることになる。

以下私の感想

アニメで良かった~

鑑賞後まず思ったのは「実写じゃなくて良かった~」です。

アニメだからこそ、伝えたいことがキチンと伝わっている作品だなぁと。

優しい色合い、柔らかい動きや表情。表面上は問題ないのに心の中は真っ黒で、声に出さないと分からないんだっていうこの映画のテーマとすごく合っていると思います。

人は分かり合えない。分かり合える。

イジメの加害者は自分がイジメていると思っていない。

イジメの被害者は自殺を考えるくらい辛い。

イジメていたやつは大人になって仕事にも就いて結婚して子供もいて幸せな生活を送っているのに、イジメられた側は人づきあいが上手く出来なくてフリーターや引きこもりの生活を送っている。というのはある話しなんではないでしょうか。

「聲の形」は聴覚障害とイジメを分かりやすく描いていますが、この映画の1番大切なところはどうやったら人と人は分かり合えるのか、という部分だと思います。

自分が本当に思っていることを声に出して言わないと伝わらないよ。と。

ただし、個人的にはちょっと憂鬱な気持ちになった事も確かです。

30代になった今、自分には本当に分かり合える人なんて1人もいないんだろうな…だから人間は悩むんだろうな、だから戦争は終わらないんだな…とか。。思うのです。でもそれは思ってるだけで、本当に分かろうとすれば分かり合えるのかも?と思えるようなこの映画。私以外の人には本当に分かり合える人っていうのは何人もいて、自分だけが1人なんじゃないのか、と思ってしまうこの映画。映画としてはすごく完成されたストーリーだとは分かっているけど、人との繋がりをあまり重要視してこなかった私には辛い映画となってしまいました…。もし私が登場人物なら委員長の女の子の立ち位置なんだろうなぁ…。

小学生高学年、中学生が見たらどう感じるのか?はすごく気になります。イジメがどうやって生まれるか、その結末はどうなるのかをこれから経験するであろう世代はこの映画を見たらどう思うんでしょうか。(個人的にはパワハラ世代・体育界系世代にも見てもらいたいですが。)

実際の聴覚障害者と接して

映画の話しからはそれます。「障害者とそのイメージ」についてです。

冒頭でも少し書きましたが、前職で軽度の聴覚障害者の方に仕事を教えていた時期がありました。

私はリーダーでもなんでもないただの作業員で、最初に紹介された時に上司から「大きい声で話せば聞こえる。難しい内容は文章で説明して。あとは普通の人だから普通に接して仕事教えてあげて。」って言われただけの立場です。きっと上司もその上司から、その上司は人事から同じこと言われてたんでしょうね。

障害者と接した事が無い人は、TVからしか情報が得られないので「障害者はみんな真面目で一生懸命だ。性格も良くて優しい。」というイメージを植え付けられていると思います。私もそうでした。

でもその人はそんなことはなく、それどころか不真面目で仕事覚える気もなくルールも守らない、わざとふざける、一般教養がなく挨拶や礼儀などの簡単な人づきあいが出来ないなど以前もっていた障害者のイメージとは真逆でした。結局その人はみんなから敬遠され孤立し仕事も覚えられず辞めていきました。

障害者には2種類います。自分を障害者として扱ってほしい人。自分を健常者と同じに扱ってほしい人。

その意思を確認しないまま「軽度障害だからきっと健常者と同じように扱ってほしいんだ」と思い込んでいたこと悪い事をしたなと思いますが、TVから「障害者はこうである。」というイメージを植え付けられていたから、良い人じゃない障害者もいることを知らない、触れ合ってみて初めて「そうじゃない」に気づき、声にだしてみて初めて「そうなのか」と分かる。人事もちゃんと面談せずに国のルールだからって障害者を雇ってあとは現場に任せてしまう。障害者本人も自分の意思を伝えようとしていない。じゃあ誰が悪いの?でも誰も悪くない。

これだけは覚えていてほしいのは「イメージで判断しない」という事。

「障害者だからこうだ」ではなく「この人はこうなんだ」ということ。1人1人違うから聞かないと分からないし言ってくれないと分からないということ。

目指すべきは障害者も働ける社会ではなく、障害者も健常者も自分の意思を伝え受け入れられる社会なのではないでしょうか。

映画「 聲の形 」総評

70点。

すごく良い映画で感動したり辛くて泣いてしまったシーンはいくつかあったけど、人間関係に重きを置いてこなかった私には辛すぎる内容でした。

障害者についてはTVから得る障害者聖人説だけではなく、ちゃんと自分で得たイメージを持って接することが大切だと思う。




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